2011年5月21日 以前から行こうっと思ってなかなか行けていない、比叡山へ行ってきました。 京都には三重県に転勤になって何度も訪れているんだけど、比叡山はちょっと離れている事もあり、また他の歴史的建造物に比べ多少華やかさは無いので、その内行こう・・・・って思ったままで 今日まで行けないままでした。 朝8時半過ぎにアパートを車で出発。新名神高速を通って京都東まで。高速を降りて何時ものように京都御所の駐車場に車を停め、そこから東へ歩いて約20分の所にある叡山電鉄の出町柳駅 から電車に乗り八瀬比叡山口駅へ。 | |
電車を降りて5分程度歩くとケーブルカーの駅があります。比叡山山頂までは、ここからケーブルカーで一度登り、ロープウェイに乗り換えしなければいけません。もちろんここ麓からでも歩いて登れ みたいだし、ケーブルカーで途中まで登ってそこから歩いて山頂へ行くことも出来るんだけど、今日は山登りの準備なんか全然してないので、素直にケーブルカー+ロープウェイの往復券を購入しました。 | |
ケーブルカーは急な斜面を登ると言うことで、最初から電車自体が傾斜しています。電車の中は階段状になっており、この傾斜状態で座席が平衡になるように設置されていますが、車内で席を探して移動するのにも
急な階段みたいな感じなので、手すりに捕まらないと怖いぐらい・・・。 席に座り程なくして出発時間です。ケーブルカーの傾斜は最大角度が約30度位あるらしく、外の景色は完全に斜めだし、前方を見ると垂直に近い上り坂を昇ってる感じです。ふと後ろの景色を見ると・・・・。やっぱりほぼ垂直の下り坂と言う感じで、高いビルの屋上から 下を除いてる感じがして、高所恐怖症の人にはちょっとヤバいかもって感じです。写真では大したことないように見えるけど、写真で撮ると伝わらないですね〜。 写真にも写ってますが、カーブルカーの前には、引っ張っているケーブルが見えますが、ケーブルカー+満員の乗客の重さで切れたりしない?って不安になる細さです。 | |
そんな多少スリルのあるケーブルカーを降り、すぐ目の前にあるロープウェイ乗り場へ向かいます。この乗り場のすぐ横に、少し離れたところにロープの輪っかがあり、”かわらけ投げ”なるものがあります。
素焼きの小さなお皿に”厄除け”の文字が書いてあって、1回100円で3枚もらって、この輪っか目掛けて投げ、見事輪っかをくぐったら厄除けになるってものらしいです。でもお皿状なので当然真っ直ぐ投げるのは難しくお皿自体軽いので
風に煽られるしで、そう簡単にはくぐらない様です。まあ、厄を除けるのは、そう簡単なことではないってことですかね。 私は既に厄年も終えてるので、やりませんでした。決して100円が惜しくてやらなかった訳ではありません。 そんな景色も眺めながらロープウェイ発車の時刻が迫ってきたのでロープウェイに乗り込みました。 ロープウェイってそんなに再々乗る機会は無いけど、何回乗っても正直気持ちよくないな〜。ロープ一本にぶら下がり、しかもお客さん結構多くてギュウギュウだし・・・・。景色は良いけど下を見たらやっぱり怖い。 なので、遠くの景色を必死で眺めてました。^^; まあ、三重県にはこれよりさらに怖い御在所ロープウェイがありますけどね^^ 数年前に乗ったけど、もう進んで乗りたくないロープウェイでした。 | |
比叡山山頂は、東塔、西塔、横川と坂本地区の主に4か所にお寺や仏閣が別れていて、それぞれの間をシャトルバスが運行しているけど距離的に一番離れた所で1.5Kmなので
歩いても知れてる距離だし、ここの所運動不足気味なので、ここからは歩いて移動に決めました。 ただ歩いていく道は舗装された道ではなく、写真の様に山道で結構アップダウンも激しく思ったより大変です。 正直後半では歩いて移動にしたことを少し後悔しましたが・・・。 | |
なんとか汗だくになりながら、西塔地区の浄土院が見えてきました。この浄土院は伝教大師最澄上人の御廟所とのこと。 そこを過ぎると、目の前にお堂が廊下で繋がっいる常行堂と法華堂です。たしか左が常行堂で、本尊は阿弥陀如来さま。右が法華堂で本尊は普賢菩薩さまです。この繋がった二つは「にない堂」とも呼ばれてるそうで、名前の由来はあの弁慶が両堂をつないぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから来てるとの事。いくら力持ちでも流石にそれは無理だよね^^; もちろん国重要文化財です。 | |
にない堂の間の廊下の下をくぐると、西塔の本堂である転法輪堂です。ご本尊が釈迦如来さまなので釈迦堂とも呼ばれ、こちらの名前の方が一般的らしいです。 この釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、信長による焼き討ちの後、1595年に当時の三井寺の園城寺弥勒堂を豊臣秀吉が無理やり移築させたもので、元は南北朝時代の1347年の建立で、現存する延暦寺の建築では最古のものだそうです。 当時の秀吉は太閤殿下で日本で最も力のある人間だっただけに、こんな事も出来たんでしょうね。秀吉自身も信長の比叡山焼き討ちには心の底では反対だったらしいので、比叡山復興の為にって所かな? もちろん国重要文化財に指定されています。 釈迦堂の横から比叡山スカイラインの道路を横切り少し歩いたところに、右上写真の瑠璃堂があります。信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれ、室町時代の建築との事。 ちょっと外れた所なので観光客もこの日は少なかったですが、このように少し外れた所に有ったので、信長軍も見落としたため焼き討ちを逃れられたとも言われてます。 一通り西塔を見て回り、続いて東塔へ行くために来た道を途中まで引き返し東塔方面へ。 ここまででも結構歩いているので結構汗だくです。まだ5月だと言うのに・・・・。 | |
へとへとになりながらも、西塔方面から歩いてくると最初に見えてくるのは写真左の阿弥陀堂です。
1937年に建立された、檀信徒の先祖回向の道場です。本尊は丈六の阿弥陀如来さまです。 | |
さらに進むと左手に大講堂が見えてきます。建物はこの元々滋賀県側の麓の坂本地区にあった讃仏堂を昭和39年に移築したものらしく、本尊は大日如来様で、その両脇には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祭られています。
そのほかにも、天井付近の壁には各宗派の偉いお坊様の肖像画が飾られていたりで、ここを見ると正に比叡山は日本仏教の中心であり、全ての宗派の開祖がここで修業し、それぞれの宗派を開いて行った事が解る感じです。
この大講堂の入口上にも下の様な彫り物がありました。まあ、こういった建造物にはよくある物ですが。
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中央 |
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左手 |
右手 |
中央が竜、左手が虎、右手がなんだったかな〜?獅子かな?忘れてしまった・・・。
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更に進み左に折れると根本中堂です。比叡山延暦寺には多くの仏堂がありますが、ここが一番有名な仏堂かなと思います。
ここ東塔地区や先ほど行った西塔地区、結局行けなかったけど横川地区と大きく3塔地区に分かれてて、それぞれに中堂(中心となる仏堂の事)はあるらしいのですが、こちらの根本中堂が一番最大の仏堂だそうで、比叡山延暦寺の総本堂との事です。
本尊は薬師如来様です。創建は788年(延暦7年)で伝教大師最澄様です。信長による比叡山焼き討ち以外にも何度か災害に会い、その都度再建されたそうで、現在の物は3代将軍 徳川家光公の命で1642年に再建したものとの事です。
TV等でも紹介されご存知の方も多いですが、中堂内のには1200年間灯り続けている「不滅の法灯」が安置されています。 1200年もの間一度も消えず守り続けられたってすごいですね。信長の焼き討ちの時も守られたって事?どうしたんだろうか?
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根本中堂の正面には結構急な階段があります。写真では判りづらいけど意外と登るとキツイです。なんせここまでロープウエイから西塔地区、東塔地区と歩き詰めでこの急な階段ですから・・・・。
それでもがんばって登りました。途中振り返って根本中堂を写真に収めました・・・・って樹が邪魔で良く見えないか・・・・。
この辺りでウロウロしていたら時間的に帰りの時間を計算するとヤバくなってきたので、最初のロープウェイに戻り比叡山を下山して叡山電鉄に乗って京都市内に戻り、御所の駐車場に停めた 車に乗って帰路に着きました。 正直、半日も無い時間では全てを見て回る事は無理ですね〜。西塔地区も東塔地区も主だった仏堂には寄れたけど、それでも省略した仏堂も多いし、横川、坂本地区には行けてないし。 次回は1日、2日位でも時間を取ってもっとユックリ観て回りたいなと思っています。 |