世界遺産・石見銀山観光

4月30日・・・。4月に入って暫定税率の期限切れに伴い、ガソリン代が30円近く安くなっていたのも、今日の衆議院での与党強行採決にて明日から復活し、明日からまたガソリン代が30円近く上がる事が決定した。
この5月連休、車で出かけるなら今日中にと言うことで、昨年世界遺産に登録された島根県は石見銀山に行くこととしました。

その昔、ここ石見地方は大量の銀が産出され、戦国時代には銀山の所領をめぐって当時の有力大名である、大内家、尼子家、毛利家等が争い、1562年に毛利氏が石見国を平定。銀山と温泉津を直轄地とし、以来関ヶ原の戦い終結まで毛利氏の支配 が続きました。豊臣政権下では朝鮮出兵の軍資金として利用され、関ヶ原の戦い以後は徳川が直轄地として納め、江戸幕府の資金源の一つとなったんですね。
写真左は資料館にもなっている旧大森代官所跡で、中では色々な鉱石を展示してあり、石や鉱石の勉強にもなります。
石見銀山資料館

ここは鉱山に隣接して発展した大森と言う町で江戸時代末の面影をそのまま伝えており、往時の繁栄のなごりをみせています。
と言っても、中には無理に江戸時代末期の外観に合わせてるってのもあります。例えば写真左上の銀行や、右下の郵便局なんかは、外観を無理やり昔風にしているだけって感じですね。
右上の理髪店は、まあ昭和初期にも見られた感じですね。って、私自身昭和初期は知らないので、映画やTVで観ただけですが・・・・。

ここの町並みの特徴として、身分や職種による町割りがなされず武家住宅と町屋が混在している事ですね。一般的に武家住宅は街道に面して門・土塀・庭などを設け、建物は敷地奥に建てられており、町屋は街道に面して軒を並べて建てられている。 建築様式は武家住宅と町屋では大きな違いがあるが、身分や職種による町割りがなされず武家住宅と町屋が混在しており、変化に富んだ景観が特徴です。

この日は5月連休中日とは言え、平日で学校はあるので写真でも判るように観光客もまばらでした。まあ、これぐらいの方が静かでユックリ観光できて良いんですけどね。


町並みを抜けて山間部に入ってきました。坑道への道は2つあって、一つは舗装されていて、もう一つは狭い未舗装の道です。未舗装とは言っても、階段や手すり等整備されているので、本当に昔の鉱山道とは違いますけどね。 本当ならこの大森地区から上の銀山坑道跡までバスが定期的に走っているらしくバス停もありましたが、残念ながらこの日はバスは運休中のようです。まあ天気も良いことだし、そんなに遠くもないので歩いて行きましょう。
写真右は代官所跡で発見された、16世紀末〜17世紀初頭の銀精錬工房跡だそうです。

上の写真は毛利元就を祭神とする豊栄神社です。同じ名前の神社が山口にもあり、あちらもやはり毛利元就を祭った神社の様です。
この神社には毛利元就自身が自らの姿を彫ったものとされる木像が神体とし安置されており、元々は長安寺という寺院でしたが、幕末の1866年、長州軍が石見に進駐した際、 ここ長安寺に元就の木像が祀られているのに驚き、翌年長州軍の隊士により長安寺境内に霊社が造営され、明治3年に明治天皇から与えられた神号をつけて豊栄神社となったそうです。

そんな豊栄神社を通り過ぎ、さらに山の中へ進みます。山の中へ進むといっても、先ほども書いたように舗装された道ですから苦にはなりません。途中写真左のような昔の山道が残されています。昔の人はこんな道を通って 銀を採掘に行っていたんでしょうか。右の現在の道と比べると一目瞭然、現代に生きる我々には左のような山道は怖くてすすめませんね。


さらに進んで行くと、道の脇に写真のような坑道の跡が幾つか現われてきます。銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)と言うそうです。この間歩が石見銀山には500余り存在するらしいので、このあたりまで来ると あちらこちらに大小の間歩入口が存在します。左の写真で判るように各間歩には番号が振られています。

左の写真が、入場料を払って唯一中に入れる「龍源寺間歩」です。この「龍源寺間歩」は1715年に開発され、石見銀山では別の大久保間歩に次ぐ大坑道で、1943年までの228年間掘り続けられ銀が採掘されていたそうです。写真では比べるものが無いので判りにくいですが、結構天井が低いです。

中に入ると空気がものすごくヒンヤリしています。この日は天気も良く気温も高めで、また下の駐車場からここまで歩いて来たのもあり、汗も滲んで暑かったのですが、坑道の中はクーラーの効きすぎたデパートに来たような 感じで一気に汗も引きます。むしろ袖をまくっていると寒いくらいです。さらに中は頭が低く前かがみにならないと通れないところが多く、油断すると頭を打ち付けそうです。


この間歩の中には左右にさらに掘り進んだらしき横穴が数か所存在します。写真では判りませんが、奥の方を除くと岩肌が少しキラキラと銀色に光っているように見えます。あれは銀なのかな?
あと、写真にも写ってますが、日の光の届かないこんな所にも緑があります。白熱球の明かりで光合成が出来るんでしょうね、少し驚きです。

「龍源寺間歩」を出て、下の大森地区への戻り道は、来た時の舗装路ではなく、もう一本の未舗装の道を戻ることとしました。こちらの道は川や山沿いの道で自然に触れることができます。 川の水はさすがに山の中で未開発地域だけあって透き通っていて奇麗です。魚も気持ちよさそうに泳いでます。

途中写真の様に山肌に沢山の花が咲いていました。花の名前はなんだったかな〜?忘れちゃいましたが、とにかく綺麗でした。

大森地区に戻って駐車場方面に歩いていたら、目の前に写真左のような物体が・・。何かと思って近づいてみるとジュースの自動販売機です。周りの風景に溶け込むように工夫されているようですが、なんとなく異様な感じです。

さらにこの近くには写真右の五百羅漢があります。岩盤斜面に石窟があり、中央窟に石造釈迦三尊仏を、左右両窟には250体ずつの石造羅漢坐像を安置しているらしく、石見銀山や日本全国の幕府直轄地の有力武士や町民などの寄付を得て1766年に完成したそうです 中に入るには有料だったので、この日は入りませんでしたが、石見銀山の石工技術をよく表わした貴重な石造作品が多くみられます。

一通り見学を済ませこの時点で時間はまだ3時前でした。ここから車で10分程度のところに有名な1年砂時計がある「仁摩サンドミュージアム」があります。 帰る方向とは逆になるけど、折角来たのだから寄って行く事としました。

ここサンドミュージアム及びその周辺地域は、漫画及び映画「砂時計」の舞台になっていますね。この日もミュージアムの中では映画の公開記念特別写真展として、映画のワンシーンや撮影風景の 写真が展示してありました。
その他にも常設展示として、砂を使ったオブジェが多数展示されています。

写真左が1年砂時計です。テレビでは何度か見たことありますが、直接近くで見るのは初めてです。以外に小さかったのに驚きでした。1年間砂を落とし続ける砂時計ですから、そうとう大きいと予想していましたが 「あ、こんなもんなんだ・・」ってのが、初感想です。それでも自分の予想が大きすぎただけで、やはり大きな砂時計であることは間違いないですけどね。
写真右はサハラ砂漠で取れる、砂のバラです。こんな綺麗な形が事前に出来るなんて凄いですね〜。


今回は昨年世界遺産に登録され、それ以前からも行って見たいと思っていた石見銀山と、全国的にもテレビ等で紹介されている1年砂時計を見ることが出来きた。明日からガソリン代も上がるし、この5月連休はこれが最後の遠出となりそうです。 帰ってガソリンスタンドに行きましたが、駆け込み需要でどこも給油に列を作ってます。私も何とか給油することが出来ました。何時までこのガソリン高騰が続くんだろう・・・。あ、そうそう今回帰り道でなんと・・ねずみ取りに 捕まってしまいました・・・。19キロオーバーで12,000円の罰金・・・。

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