東寺・西本願寺・京都御所観光

6月2日(土曜日)九州南部では早くも梅雨入りしたようで、ここ東海地区も来週か再来週には梅雨入りの可能性が高くなってきています。仕事も忙しくなってきているし、暫く京都観光も出来なくなりそうなので この日も京都観光に行くこととしました。目的地は新幹線で京都から大阪方面に少し出ると南側に見える「東寺」。それと「京都御所」「西本願寺」です。

いつもは電車で行くんだけど、この日は久しぶりに京都まで車で行くことにしました。と言うのも事前にネットで色々調べてると、京都御所の側の駐車場が3時間500円で、以後1時間おきに100円と都心にしては異常に安い。 これなら電車で片道1280円払って行くより安く済むと思ったからです。ところが、やっぱり電車で行くべきだったかも知れません。途中栗東市までは順調だったけど、そこから栗東、草津、大津、山科と少し走っては渋滞&混雑の 繰り返しで、結局京都御所に着いたのは出発して3時間半後・・・疲れた。

なんとか京都御所の駐車場に到着。朝9時に出たのに着いたのは12時半をまわっている・・・。
車を停め、地下鉄南北線の丸田町から京都駅まで移動。順番が逆だけど、まず京都駅でお買い物をすることに。やっぱりお土産や京都らしい物を買うのなら、ここ京都駅で大体のものがありますから選びやすいし 買いやすいですからね。お土産と一緒に会社で使う扇子を購入。これから暑くなるので会社で使うには最適です。なんせ席に常に居るなら扇風機でも良いけど殆ど席に座ってないし、普通の団扇は持って歩くには邪魔になるし すぐどこかに置いて来て無くなっちゃうんだよね。その点扇子は使わない時畳んでポケットに入れとけるし。

一通り買い物を済ませ、京都駅から歩いて最初の目的地東寺へ。京都駅からは南南西方面に歩いて15分位かな。東寺は新幹線で京都駅に近づくと南方面(東京からだと左手、大阪からだと右手)に見える五重の塔なので、皆一度は見たことが ある建物だし、京都に来て最初に目にする歴史ある建造物なので、ある意味京都の顔的存在ですね。

この東寺は794年に恒武天皇がここ平安京に都を遷都し、羅城門の東西に建造した大寺の東側のみが現在に残った物です。この東西の大寺に挟まれた羅城門から天皇が居る内裏まで3キロ位の真直ぐな道が続いている昔の地図を見たことがあります。 でも現在の地図を見ると京都御所の内裏から真直ぐ南に下ると、なぜか東寺はかなり西に寄ったところにあるんですよね。「これじゃ東寺じゃ無くて西寺じゃない?」って思うけど、実は当時の内裏は現在の内裏の位置より西側に在ったんだけど 災害で内裏が焼失したさいに内裏を現在の位置へずらせたんですよね。

東寺は正式名称を教王護国寺と言い、823年に空海(弘法大師)に下賜され、それ以後は真言密教の根本道場となります。

早速拝観料500円を払って境内へ。やはり時期的に修学旅行の学生が多いですね。外国の方もちらほら見えますが学生の姿のほうが多い。

5重の塔は新幹線の窓から見てたときも結構大きいなって思ってたけど、近くで見ても結構高い。こんな高層建造物が1300年位前に建てられたとは驚きです。現在なら重機を使ってこれぐらいなら簡単に出来るんだろうけど 重機も何もない、人の手だけでこれほどの物を作るなんて、昔の人は凄いな〜って改めて感心です。この塔は正面がまっすぐ北を向いているんです。従って四角い各面が東西南北に正確に向いて建っている所も凄いですね。

その塔の東側には写真右のような支えのような物が。最初の屋根瓦を挟む様に建っているので、塔が傾くのを防止するためなのかな?

この塔は創建以来何度も火災で焼失しているそうで、その度に時の権力者により再建されています。現在の塔は1643年に、3代将軍徳川家光が再建奉納されたものです。
やはり何度も火災にあっているからでしょうか、写真左のような消火用バケツが沢山置いてあります。周りは鉄柵に有刺鉄線で塔の近くに近寄れないようにされています。

人が入れない様にされているんだけど、なぜか傘建てに安いビニール傘が数本立ててありました。これ誰が置いてるのかな?管理の人のだったらこんな所に置くのも変だし、まして歴史的建造物のすぐ側に傘立てとビニール傘は ちょっと情緒に欠けるような気がしたのは私だけ?

こちらは5重の塔境内にある、奥が金堂で手前が講堂でいずれも国宝です。金堂は1486年に焼失、現存する金堂は太閤秀吉の息子豊臣秀頼の発願で、1603年に完成した建物といわれています。 金堂の中には本尊の薬師如来座像を中心に、右側に日光菩薩、左側に月光菩薩が安置され、本尊の台座には十二神将像が配置されていて、これら全て国の重要文化財です。なかは薄暗く、少しかび臭い匂いがします。でもいずれも立派な仏像です。

講堂は弘法大師により着工され、835年の空海死去の年に完成。室町時代の1491年に再建され、現在まで残っているそうです。中は金剛界曼荼羅(マンダラ)世界を立体的にあらわしているらしく、本尊の金剛界大日如来座像を中心に五智如来。 右側の菩薩部には金剛波羅密多菩薩を中心に五菩薩。左側の明王部には不動明王を中心に五大明王、四隅には持国天、多聞天、増長天及び広目天の四天王、両端には梵天と帝釈天、合計21体の仏像が安置されています。その内15体は国宝で5体は重要文化財です。
ここも金堂と同じく薄暗く、少しかび臭い匂いがしますが、これだけ多くの仏像が並んでいると迫力あります。

写真右は料金所の手前にあるので無料拝観できる食堂です。立て札によれば僧侶が斎時に集って食事をした場所で創建は未詳。あの足利尊氏もここに居住したそうです。現在の建物は1930年に焼失後、1934年に再建されたそうです。

食堂の西側には写真左の入り口があり、この門を入ると右手に大師堂、左手に毘沙門堂があります。ここ大師堂は弘法大師の住居であったとされているところで、その当時の建物は火災に遭い焼失し、現存のものは1390年に再建されたものです。

毘沙門堂には国宝のとばつ毘沙門天像で、元々は平安京の入り口、羅城門の楼上に置かれ外敵の侵入から平安京を守る役目を果たしていたと言われる像で、嵐により羅城門が倒壊した際に助け出されて東寺に置かれていたものだそうです。

一通り東寺境内を散策後、次なる目的地へ行くため東寺の駐車場横切っていると、駐車場を挟んだ反対側にぽつんと建っている建物があります。写真右の建物で、駐車場のはずれで注意しないと気づかない所にありますが宝蔵です。 創建は諸説あるようで東寺が建てられた頃と同じ時期に創建されたようで、立て札の説明書きには「1000年と1126年に焼失して、1198年に文覚上人によって再建されたものが残ったとされていたが解体修理の結果、東寺創建に近い頃の建立と考えられる」と書いてあります。
そんな立派なものが駐車場の外れにあるなんて・・・・。

東寺を出て北へ新幹線、東海道線を横切りまっすぐ北上すること約20分。龍谷大学のすぐ横を通って「西本願寺」へ着きます。 浄土真宗本願寺派の本山で、親鸞聖人を慕う門徒たちによって建てられた大谷廟堂から発展し、1591年に現在の地に移転したそうです。境内には、阿弥陀堂と御影堂の両堂をはじめ、参拝会館や聞法会館、国宝や重要文化財に指定された 多くの書院や法宝物があり、平成6年に世界文化遺産に登録されました。

写真左は龍谷大学の側を通って突き当たる所にあります国宝の唐門です。桃山時代の伏見城の遺構といわれています。別名日暮れ門とも言われ、建築細部にみられる彫刻を眺めていると、日の暮れるのを忘れると言うところからそう言われるそうです。

その唐門から右手に曲がって壁伝いに歩きます。道は綺麗に清掃されていて良い感じなんですけど、壁には沢山の落書きがあり観ていて悲しくなってきます。世界的に見ても日本人の文化財に対する意識の低さは問題ですね。 海外でも文化財への日本語の落書きが問題になり、世界中に恥をさらしています。まったく同じ日本人として恥ずかしい限りですね。

唐門から堀川通りに出て左に曲がり、正面に回って境内に入ります。現在西本願寺は平成23年の親鸞聖人750回大遠忌に向け、10年間にわたる大修復工事中で、写真右の「阿弥陀堂」は見学できますが、左の「御影堂」は見学できなくなってます。

我が家は浄土真宗本願寺派なので、ここが総本山ですので阿弥陀堂の中へ入り仏様にお参りをしました。中は非常に広く全面畳が敷き詰められています。ここまで歩き続けて多少疲れたので仏様を拝んだ後、端の方で少し休憩することにしました。 他にも沢山の観光客が畳に座り休んでいます。外国の方もちらほら見えます。ここは京都駅からあまり離れていない町のど真ん中にある割には、中に入ると静かで落ち着きます。

しばし休んでいると動くのも億劫になってきましたが、何時までもここにいるわけにいかないので、重い腰を上げて最後の目的地の京都御所へ向かうことにしました。

最後は車を停めている「京都御苑」です。正面から入ると写真のように道幅が50m位の砂利道が御所正面まで続いてます。距離はどれくらいあったかな?300mから400mは有ったかも。御所の正面門が小さくしか見えません。 昔はこの様な道が、最初に行った東寺からずっと続いていたんだろうから、それはそれは凄い眺めでしたでしょうね。まあ昔なら我々の様な庶民は御所を拝むことすら出来なかったでしょうけど・・・・。
この長い砂利道を歩いて御所に向かいます。とにかく砂利が結構深めなので歩きにくかった。道の両脇の木陰では、家族ずれやカップルが敷物を敷いてくつろいでいます。結構静かだし、天気のいい日にはお昼寝するには最高の 場所かもしれませんね。

歩き辛い砂利道をなんとか歩いて京都御所正面門に。明治維新後、東京に遷都し天皇が東京に移られるまでは、ここに天皇一家が住まわれていたわけですね。要するに平安の時代から明治初期まではここが日本の中心だったわけです。

なお、ここから中は入ることは出来ません。入るためには事前に申し込みし許可を得ないと駄目みたいです。内裏や中のその他の建物を見ることも出来ません。
仕方ないので、周りを一周してみることにしました。と言っても結構距離があります。一辺が500m以上はありますね。回りも写真右のように砂利道で道幅も結構広めです。

御所の周りを回っていて気づきましたが、壁は凄く綺麗で落書きなんか一切ありません。それもそのはず、壁近くには至る所に監視カメラやセンサーの様なものが沢山設置されています。なんでも壁に近づき触ろうものなら警告 が鳴り、警護のお巡りさんがすっ飛んでくるらしいです。確かに御所を一周する間にも、パトカーや警護のお巡りさんが居ました。

御所を約40分位かけて一周し、すぐ側の駐車場に戻り帰る事としました。帰りはさすがに朝の混雑で懲りたので、京都東から栗東まで高速道路を走ることにしました。途中大津のサービスエリアでトイレ休憩です。 ここのサービスエリアは写真右のように琵琶湖が一望できる最高の場所です。写真ではなかなか雰囲気が伝わらないけど、景色は最高です。夏にはここから琵琶湖花火大会が目の前で観られる事もあり、その日は大混雑のようです。

さすがに高速道路を通ったからか、帰りは2時間かからないで帰りました。最初からそうすれば良かった・・・。
梅雨ももう時期で、その後は暑い夏。京都の夏は洒落にならないぐらい暑いですから、今度京都来るのは秋かな?また紅葉でも観に来るとします。

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