京都嵐山観光

2月24日(土曜日)今朝の三重県は快晴です。多少風が冷たいとはいえ、日が当たる所に居ると結構暖かい。こんな日は観光に出かけるのが一番って事で久しぶりに京都へ出かけました。行き先は観光名所としても有名な嵐山。
結構暖かいので薄着で出かけようかと思ったのだけど、そうは言ってもまだ2月なので、とりあえずジャンパーを1枚着て行くことにしました。暑ければ脱げば良いしね。(これが後で大正解になるとはこの時は思わなかった・・・。)
車でJR関西線の関駅に行き、そこから柘植駅から草津線に乗り換え草津駅へ。そこから琵琶湖線で京都駅へ出て、さらに嵯峨野線(山陰本線)で嵯峨嵐山駅へ。
まずは最初の目的地大覚寺へ。行く途中で「揚出しうどん」ってのを食べました。あんかけうどんの上に揚げだし豆腐が乗ってるだけなんだけど、値段もリーズナブルでそこそこ美味かった。京都と言えば豆腐 だから、一応京都らしい食事とも言えるかな?

左が大覚寺入り口です。ここで500円の拝観料を払って中へ。ここは珍しく仏様や位牌以外は写真撮影OKみたいです。入り口を入って直ぐの所に右のような綺麗な襖絵が展示してあったので早速写真に収めました。 普通このような物は文化財保護の為も有ってか、許可無く写真撮影禁止の所が多いんだけど、ここはなぜかOK。これでも一応重要文化財なんだけどね。

大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」で、真言宗大覚寺派の本山です。門跡寺院とは天皇または皇族が住職に就かれた寺院の事なんですね。天皇家は神道だから寺院とはあまり関係ないのかと思ってました。 ここ大覚寺は794年に桓武天皇が新都平安京に遷都。その後に即位した嵯峨天皇が、后との新居として嵯峨院を建立されました。弘法大師(空海)も何度も訪れたそうです。その後嵯峨天皇の皇女正子内親王が清和天皇に上奏して 大覚寺と改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂法親王が初代の住職に就かれたそうです。またここは南北朝時代には南朝の御所になり、1392年に南北朝の媾和会議が開かれた場所でもあるんです。

上左は「宸殿」で、江戸時代に後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物です。天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘東福門院和子が、女御御所の宸殿として使用していたものだそうで。破風板、天井などに みごとな装飾がこらされています。また跳ね上げ式の扉の留め金部分には右のようなセミの飾りが全ての扉に装飾されています。しかも一つ一つ微妙にセミの形が違っていました。中には「これセミ?・・ゴキブリにも見える・・」 って感じの物もありました。
そうそう、ここの前の廊下もそうだけど、ここ大覚寺の大半の廊下はうぐいす張りとなっていて、歩くと廊下が鳴くんです。

左上は勅封心経殿(心経殿)です。ここは1925年、後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して建立されたそうです。そういえばなんか見たことがあるような建物です。 平成9年には登録文化財に指定され、中には嵯峨天皇をはじめ後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来立像が安置されているそうです。
そうそう、ここは天皇に縁が深いお寺だけに、そこかしこに菊の紋章があります。写真は建物の柱の下のほうの留め金の装飾として全ての柱の下に付いていました。

続いて訪れたのは五台山清凉寺です。左が本堂で、右が多宝塔です。多宝塔の前には一本梅が花を付けていたので、梅のバックに多宝塔を入れてみました。そういえば本来梅見物も主目的だったんだけど、まだあまり咲いてませんでした。寒いからね・・・。

ここ清凉寺は千年来、嵯峨釈迦堂の名前で親しまれており、御本尊釈迦如来さまは国宝で日本三如来の一つだそうです。この御本尊像は985年に中国に渡った、奈良東大寺の層、「然(ちょうねん)上人がインドから中国に伝えられた 尊像を摸刻し日本に持ち帰ったもので、摸刻されたとき5人の中国尼層により釈迦如来像体内に絹で作った五臓六腑が施入され、その後ずっと誰にも知られず施入されていたものが、遥か時を越え昭和28年に発見されたそうです。 これは中国が千年前から人間の体の構造を知っていたことを示すもので、解剖学的にも貴重な資料になっているそうです。なんか凄いですね〜。中国の歴史もそうだけど、千年近くも尊像の中に人知れず五臓六腑が施入されていて、それが 時を越えて現代に発見されるなんて・・・。う〜んロマンだな〜〜。


左上が聖徳太子殿です。四天王寺にある太子殿のミニチュア番って感じで、形は少し似ていますが、どういう関係が有るのかは定かではありません。確か何も説明書きが無かったような・・・。パンフレットにも何も載ってなかったし。 右は清涼寺境内を散策していると、変わったカットをした木があったので写真に収めました。何の意味があるのかな?

左上は弁天堂です。この弁天堂の屋根の上の飾りは右のような龍なんですね。玉の周りに龍がまとわり付いているような感じで、思わず「ドラゴンボール」を思い出しました。

続いて小倉山二尊教院華台寺、通称二尊院へ行きました。左はその二尊院の正面の門。右は二尊院の本堂です。二尊院は平安時代初期(834〜847)に嵯峨天皇慈覚大師を開祖として建立したのが始まりで、その後荒廃したけど法然上人らによって再興。 応仁の乱によって堂宇伽藍が全焼しましたが、本堂・唐門のみ約三十年後再建されたそうです。本堂右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像の二本尊(ともに平安末期の作で重要文化財)を安置しており、二尊院の名もここから名付けらたそうです。
境内の墓地には、お年寄りには大人気の阪東妻三郎のお墓があります。その他にも公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、鷹司家の墓地や奥には土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵があります。 平安から鎌倉時代を代表する公家衆のお墓があるわけですね。

こちらは、二尊院の正面左手奥にある百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所です。と言っても写真で見て判るとおり、何もなく敷石の様なものと碑があるだけですが・・・・。期待して来たのにがっかりです。 なんか栃木に居たときにも同じ経験をしたな〜。確かあの時は茨城の三戸光圀の隠居跡に行った時に、助さんの居住跡かなんか道案内標識に書いてあって、行ったら何も無く立て札があっただけって事があったな〜。

そうそう、ここの境内には「幸せの鐘」があって、第一に自分が生かされている幸せを、第二に生きとし生けるものに感謝し、第三に世界人類の幸せの為にと、3回鐘を突いて幸せを祈願すると良いらしいです。私も世界平和と家族の幸せを祈願して 突いておきました。

二尊院を出て最終目的地の渡月橋へ向かいました。やはり嵐山と言えば渡月橋ですよね。観光雑誌等でも嵐山と言えば必ず渡月橋の写真が載ってますから、嵐山=渡月橋ってイメージがあります。 二尊院から「トロッコ嵐山駅」の横を通って、桂川沿いに渡月橋に向かうこととし、歩いていると道沿いのお店に右の写真のような「金のうんこあります」って張り紙が・・・! き・金のうんこって・・なに? 興味をそそられお店をのぞくと、金ぴかに輝くうんこ・・の置物がありました。なんでも金運・開運・幸運をつかむとか・・・。要するにうんにかけてるわけね。なんかダジャレじゃん!って思いつつも 家族のお土産に面白そうって事で、携帯ストラップになっている金のうんこを買って帰りました。結局お店の策略に乗っかってるじゃん。


しかし、この嵯峨野の風景は落ち着いた雰囲気が漂ってますね。写真右は先ほどの「金のうんこ」を売っていたお店から更にトロッコ嵐山駅方面に移動中に嵐山方面を撮影した風景です。写っている山が嵐山です。
更に途中にはお人形が飾ってあるレストランもありました。お店の前にはメニューを持ったクマの人形が居ます。色々風景を楽しみながら歩いていると、だんだん空模様も悪くなり寒さが増したなって思ったら、 なんとパラパラではあるが雪が降り出しました。朝三重を出たときは快晴で日向に居ると暖かく、もう春だな〜って思ってたのに・・・。

更に進んで、トロッコ嵐山駅の脇を抜けて桂川へ出ました。ちなみにトロッコ嵐山駅から出るトロッコ電車は今の時期お休みです。12月から2月いっぱいまでは乗れません。
桂川に出るとそこから川下方面に歩いていると、目の前に有名な渡月橋が見えてきます。この辺りまで来るとさすがに観光客の数はグッと増えてきますね。しかも若い女の子多い。それまでのお寺参りでは、若い女の子より 年配の方々が多く、更にこの日は寒かった事もあって観光客の数は少なかったですが、ここ渡月橋は寒さなんか関係なく観光客がいっぱいです。
渡月橋を渡って中之島へ渡り、そこでみたらし団子を食べました。更に小さい橋(さっきの渡月橋に比べると、橋かどうかも判らない)を渡りましたが、こちら側は旅館やホテルばかりで見るところは無さそうです。

ところでこの渡月橋って写真で見たときは木造の橋のように見えましたが、外側は確かに木造?のような雰囲気ですが、橋の上は普通のアスファルトの道路が走っていて、渡ってるときは普通の何処にでもある橋って感じでした。 昔は全て木造の橋だったんでしょうね。まあ、この地区の方々の生活道路ですから仕方ないのかな。
とにかく寒くてたまらないので、再び渡月橋を渡って、御土産物のお店が沢山あるところでお土産を買って帰ることとしました。こんなに寒いのに若い女の子たちはミニのスカートや露出の多い服装でうろうろしてるんですよね。 しかしまぁ、元気がいいね〜。見てるこっちが寒くなってくるよ。まあ良い目の保養だけど・・・・。

今回京都は昨年12月の紅葉見物依頼で今年初めての京都旅行でした。今度は3月末か4月頭に桜を観にまた京都に来ようと思ってます。

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