長浜城&国宝 彦根城
梅雨の真っ只中、雨が降ったり、天気予報では雨の予報なのに雨がまったく降らず、場所によっては晴れていたりと、良くわからない天気が毎日続いてます。
今日も予報は雨だったけど、朝外を見ると曇ってはいるけど降りそうな感じではありません。先週も天気予報では雨だって言うので部屋で大人しくしてたら、少しは降ったものの 一日ほとんど雨は降らなかった。今日も同じような感じなので、思い切って出かけることにしました。行き先は前から行こう行こうと思って全然行けていない、琵琶湖北東部にある 長浜城と、その少し南側にある国宝彦根城です。

朝9時半頃から亀山を出発し、カーナビの言うとおりに北上しました。そう、ナビの示すとおりに行ったんだけど、途中とんでもない山道を走行です。愛車のフィットが何とか通れる位の 狭いグネグネした山道です。しかもカーブにカーブミラーが無いから怖い!途中すれ違う車にはまったく遭わなかったので良かったんですけど・・・。まあこんな山道通るのは殆ど居ないって事でしょうか。
そんな山道を暫く走って、滋賀県は日野市を通り、彦根市を抜けて長浜市へ。長浜市内を通って長浜城へ向かいました。途中長浜駅に出る少し前で行列の出来ているお店がありました。 運転しているし、通りすがりで見ただけなので何のお店か判らなかったんだけど、行列が出来てるって事は相当美味しいお店なんだろうな〜。ってか食い物の店かどうかも判らなかったんだけど・・・。

長浜城の近くまで来て駐車場を探し車を止めて長浜城へ。駐車場からお城方面に行く道の両脇はテニスコートになっていて、近所の中学生か高校生かな?テニスの練習をやってました。 それも女の子ばかり(^_^) クラブ活動なのかな?黄色い声を聞いてると、「青春だな〜」って・・・・。『おやじかっ!!』(`Å´)
まあ、そんな事を考えながら長浜城へ。

お城や長浜市内はあちらこちらに幟が立ってます。そうです、今年のNHK大河ドラマは、この長浜も重要な舞台になっている山内一豊、千代夫婦のお話「功名が辻」ですからね。
左の写真が長浜城天守閣です。でもこれは近年再建されたもので、元の長浜城は徳川家康が天下を取った後、この当たりの支配は南の彦根城に移され、お城は取り壊されたんです。その際、石垣や魯材の一部は彦根城に 運ばれたそうです。
長浜城は、元は織田信長の浅井・朝倉攻めの”姉川の合戦”及び”小谷攻め”で手柄をあげた後の太閤秀吉こと羽柴秀吉が、浅井の領国を与えられ最初小谷城に入った後、琵琶湖の舟運を支配しやすい この琵琶湖沿岸の長浜(当時は今浜って言われてたみたい)に城を築いたんですね。その後本能寺の変で信長が亡くなるまで、秀吉はこの地を拠点に全国を転戦し、織田家の中でも1,2を争う武将へと出世していった訳です。 つまり、この長浜城は秀吉の出世城とも言える訳ですね。本能寺で信長が倒れ、織田家相続会議でもある「清洲会議」で当時の織田家筆頭家老の柴田勝家の甥、勝豊に一旦はこの城を譲りますが 1年もしないうちに、勝家が雪で北の庄から動けなくなったのを見計らって勝豊を攻め、長浜城を取り戻し、翌年の柴田勝家との織田家相続を賭けた「賤ヶ岳の合戦」の軍事拠点となり、 その後は、大河ドラマにもあるように山内一豊が城主となりました。山内一豊にとっても初めての城持ち大名となったお城でもあるんですね。

お城の中は色々な展示品があります。安土桃山時代の美術品や刀、そしてこの地方は国友鉄砲鍛冶も有名で、各種の鉄砲も展示してあります。

右の写真は、その長浜城天守閣から見た琵琶湖の様子です。残念ながら空気が霞んでいるので、琵琶湖の西側の山々は見えませんが、空気が澄んでいたら最高の景色でしょうね。ここからは当時豪華絢爛な天守閣を持つ安土城も 見えたと思います。秀吉はここから何を思い琵琶湖を、そして安土城を眺めたんでしょうか。おそらくいずれは天下を取ることを夢見ながら眺めてたんでしょうか。

お城を出て琵琶湖沿岸まで行きました。歩いてて足元を見るとマンホールの蓋に秀吉の瓢箪が描かれていたりしてます。
湖岸には写真左の太閤井戸があります。この太閤井戸ってのは、秀吉ゆかりの地には良くあるみたいで、京都や姫路、九州にもあると聞いたことが有ります。由来は良く判りません。 こんな湖の傍に井戸を掘ってどうするつもりだったのかな?水は直ぐ傍の湖に沢山あるのに、わざわざ井戸を掘る意味は・・・なんだろう?
ところで琵琶湖は汚いとは聞いてたけど、よくよく回りを見ると結構ゴミが散乱してます。右の写真では良く判らないけど、ビニール袋やペットボトルやら、生活ゴミが散乱してます。ゴミ問題はここに限らず全国的ですからね。 広島の方でも瀬戸内海沿岸はゴミが多く、釣等に出かけたときにもよくゴミが針に引っかかって嫌な思いをしたことも度々でした。どうも日本人は自分の部屋はきれいにするのに、公共の場は汚れてても気にならない人種のようですね。

長浜城を出て、湖岸道路を南下。お昼だったので何処かで昼食を取ろうと思い、どうせならこの辺りの名物でもと思ったのですが、琵琶湖で名物として知っているのは鮒寿司です。鮒寿司は臭いが強烈で独特だし、昼食として食べるには 少し勇気が要ります。それに駐車場が在る所でないといけないし、色々思案した結果、彦根へ行く途中の道の駅で昼食を取りました。結局別に何処でも食べられるザルそば定食でした・・・。(^_^;

昼食も済ませてさらに南下し彦根城へ。現在彦根城では築城から400年と言う事で、国宝・彦根城築城400年祭をやってます。と言っても何か特別すごいイベントはこの日はやっておらず、城内で特別展示を しているぐらいでした。
彦根城のすぐ近くまで車で入り、正面門の目の前にある駐車場へ。有料なんだけど、お金を集めてるおばちゃんが、なぜか奥の方に居てこっちに気づきません。どうしようか迷いながら、とりあえず中へ入って車を止め 駐車場の出入り口まで歩いて行き、おばちゃんに「車もう止めたから」って言ってお金払いました。でもおばちゃん、車止めたことに気づいていなかったみたい。知らん顔して行けば良かったかな?・・・ でも結構年配のおばちゃんが一人で頑張ってるので気がひけるよね。やっぱり正直にお金払ったほうが気が咎めないよね。400円ぽっちだし。

正面門をくぐり彦根城に入る為の入場券を買い、最初に入り口の横にある彦根城博物館に行きました。ここには井伊直政から続く井伊家ゆかりの武具など多数展示されていました。また中には能舞台があり、日によっては能が催されているようです。舞台を囲むように座席も 設置されていました。残念ながらこの日は能は無かったようです。

彦根城博物館を出て続いて彦根城天守閣へ。写真でも判ると思いますが、天守閣自体は以外に小さめです。今まで姫路城や名古屋城等色々行きましたが、それらや我が地元の広島城に比べてもかなり小さめで、さっき行った長浜城と比較しても小さめですね。

ここで彦根城の歴史について色んな文献から抜粋すると
彦根城は標高135mの彦根山頂に天守閣・本丸を築いた平山城で、国宝の四城(姫路城、松本城、犬山城、彦根城)の一つで、別名金亀城。徳川幕府重臣井伊家35万石の居城です。
徳川四天王のひとり、井伊直政関ヶ原合戦の後、石田三成の旧居城佐和山城に入ったが、山城で不便であったため、それよりも麓の現在に位置に新たに築城することとしたが、 築城直前の1602年(慶長7年)に関ヶ原の合戦時、島津勢を追撃した時の鉄砲傷が原因で直政は死去。その子直継が事業を引き継ぎ1603年(慶長8年)徳川幕府の威信をかけた工事が開始。琵琶湖の水運を押さえ京の都や大坂の豊臣氏に対抗する 第一級の軍事要塞として築かれた彦根城は着工から20年あまりをかけてようやく完成。天守閣は大津城天守、天秤櫓は長浜城大手門、太鼓門櫓は佐和山城城門、西ノ丸三重櫓は小谷城天守の移築と言われ、石垣の石材も 安土城の石垣から持ってきたものと考えられている。

この彦根城は幕末まで一度も藩主が替わらなかった事も珍しい事とされています。まあ、徳川幕府の大老職を務めたお家柄ですから当然かも。
内部は昔のままに残っているだけに歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気が漂っているかと思えば、壁には敵が来襲したときに鉄砲で応戦するための鉄砲狭間等があり、戦の為の備えも各所に観られました。

天守閣を出て少し急な山の中の階段を下りていくと、写真左の槻御殿があります。ここは日本史でも出てきます、幕末の大老井伊直弼の生まれた場所です。正面からは改装工事でもしているのか入れなかったんだけど、 横から建物を見ることは出来ました。

続いて、城の北東に位置する玄宮園(名勝)に行きました。
玄宮園は四代藩主直興が1677年に造営した庭園で、中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられたという事です。
写真に写っているのは、その玄宮園内の築山に建つ鳳翔台(茶室)で、趣のある建物です。かっては、藩主が客人をもてなすための宮殿であったそうですが、写真の角度からみる鳳翔台とそのバックの彦根城の画はなかなかのものです。 池には亀も沢山泳いでるし、鯉も大小いました。でも赤い鯉は居なかったな〜。黒いのばかりだったような・・・。

彦根城を出たのは4時過ぎ。本当はこの後安土城跡にも行きたかったんだけど、こういった史跡や博物館等は大概5時ごろで閉館だから、これから行っても5時過ぎて何も見ることが出来ないかもしれないので、 安土城はまた今度来ることにして今日はそのまま帰りました。帰る道中昼間あれだけいい天気だった空が三重県に近づくにつれて雲が厚く広がってきて、途中どのあたりだったか忘れたけどもの凄いどしゃ降り雨に遭いました。 車のワイパーをハイにしても前が良く見えないぐらい。その後も一旦雨は上がったけど、亀山に帰ってきたらまた雨でした。まあ、観光中は汗ばむぐらいの良い天気で、帰路が雨だからついてるとも言えますけどね。

今回は朝出発の時間が遅かったことや、長浜城は再建された城なのでそんなに観るところは無いだろうと思っていたんだけど、NHK大河ドラマの影響で特別展等をやっていて、それらも観て回った関係で予想以上に時間がかかって しまい、予定以上に時間がかかってしまったので、安土城に行けなかった。事前にHP等でイベント情報を確認して行くべきでした。まあ、まだしばらくは三重県に居ることになるだろうから、安土城はまた今度来ることにしよう。 その他にも琵琶湖周辺は色々と観光する場所も多いしね。

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