伊賀上野忍者屋敷・上野城とヤマトタケルの尊の墓?
6月5日、三重に引っ越してきて2回目の日曜日。本当は前日の土曜日に伊勢神宮参りに行く予定だったけど、金曜日の飲み会の二日酔いで、土曜日は一日ダウンしていたので 行けなかった。日曜日は元通り復活、天気も良いし手近なところで伊賀上野へ行ってみることにした。伊賀上野までは亀山から車で名阪国道を通って約1時間。伊賀上野と言うと 有名なところでは、かの俳人『松尾芭蕉』の生誕の地として有名ですね。それからなんと言っても『伊賀忍者』でしょう。昔なら横山光輝氏作の『伊賀の影丸』 。これはちょっと古いので最近の人では『忍者ハットリ君』の方がわかりやすいですね。いずれも伊賀忍者が主人公の漫画ですね。もう一つの忍者の地として有名な甲賀も ここから車で1時間程度の滋賀県にありますが、こちらは今度行くこととします。

伊賀上野公園に着いて、車を駐車場に止め案内所へ。伊賀忍者博物館・伊賀上野城・だんじり会館の3箇所を回れる共通券を1450円で購入。写真の右下の赤と青の券がそうです。 早速、まずは伊賀忍者屋敷へ行きました。
忍者屋敷はそんなに大きくなく、いかにも昔の農村の一軒家って感じの作りです。入り口に行くと、ピンクの忍者衣装を着た女性が居て、案内してくれます。(ちょっと可愛かったかな・・・。) ところで、この忍者屋敷の屋根には、右の写真の様に貝殻が一定間隔で置いてあります。これは何なのか、案内役の女の子に聞いたところ、これは鳥除けだそうです。天気が良いと、貝殻に日光が反射して キラキラ光るので、鳥が寄ってこないんだとか。よく田んぼでCDをぶら下げて、日光に反射させ鳥避けにしている所を見た事がありますが、あれと同じだということです。
屋敷の中では色々な仕掛けを実演して見せてくれる関係で、一定時間間隔で中へ案内してくれます。屋敷の中へ入ると、また別のくのいちが居ます。
ここでは、このくのいちのお姉さんが、仕掛けを実演を交えながら説明してくれます。この時一緒に屋敷に入った中に、どこかの会社の旅行なのか、オヤジの団体がいて、お姉さんが一生懸命 説明しているのに、勝手に喋りまくって聞いていないし、うるさいし。まったくオヤジの集団は鬱陶しいな〜(#`д´)ノ 私はこんなオヤジにはならないぞ!!
まあ、お姉さんも慣れたもんで、オヤジが騒いでいても淡々と説明を続けています。この屋敷に入って思い出したのですが、中学校の修学旅行でここは来た事があったんです。あの時も くのいちのお姉さんが説明してくれていました。約28年ぶりに来たことになります。あの時はくのいちのお姉さんに見とれて、説明をちゃんと聞いてなかったような記憶が・・・・。
屋敷での仕掛けの説明が終わり、屋敷を出て地下にある忍者博物館へ。ここには忍者の衣装や道具などが沢山展示してあります。また、ここでは、「水蜘蛛の術」「縄ばしごの術」などが体験できる コーナーもありました。忍者って言うのは、普段は普通に農業を営み、普通の農家の人と同じような暮らしをしていたそうです。まあ普通の農家の人と違うのは、農業の合間に忍者としての訓練や剣術等を やっていた事でしょうか。こうして一度上からの命が下れば、忍者としての活動をしていたんですね。

伊賀忍者の歴史は諸説有ってはっきりしませんが、歴史上有名なところでは、徳川家康の伊賀越えを助けた事ですね。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、その時堺に居た徳川家康は本拠地・三河に戻るため 明智軍の沢山いる京都や大和路を避け、難所の伊賀越えをし、海を渡って無事三河に帰り着くことが出来ました。この時伊賀越えを助けたのが、伊賀・甲賀の忍者です。この時の働きを徳川家康は高く評価し、 家臣の服部半蔵を忍軍の頭領に任命し、積極的に忍者を雇うようになり、多くの伊賀・甲賀忍者が、服部半蔵を通じて徳川家に仕官したそうです。徳川家康の天下統一に、これら忍者が大きく貢献したと言われてますね。
忍者博物館を出て次は伊賀上野城です。この日は写真左の様に、近所の幼稚園(保育園?)の運動会を、このお城の横の公園でやってました。凄いですね、城の横の公園で運動会なんてね。

この伊賀上野城は今年天守閣復興70年だそうです。この城は、歴史上有名な武将藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた城です。家康の大阪攻めの為に、伊予に居た高虎を伊賀・伊勢両国の城主として移しました。藤堂高虎は、当時 戦国武将の中でも築城の名人として名が通っており、家康としてはこの地を大阪攻めの要害の地としたかったらしいです。高虎はここに30mの高石垣で囲んだ五層の大天守閣を築いたのですが、竣工直後の1612年に 暴風雨のために天守閣が倒壊。結局この城を建て直す前に、大阪夏の陣で豊臣方が滅亡したため、その後の武家諸法度による城普請の禁止により、天守閣は再び建てられることは無かったそうです。

現在建っている城は、高虎が建てようとした五層の天守閣ではなく、三層に模擬復興したものです。でもその構造は高虎が建てようとした大天守閣と同様の手法によるものだそうです。
お城の中には、沢山の歴史的資料が沢山展示してあります。上の写真の左上にある兜は、藤堂高虎の兜です。なんとも大きな羽のような物が着いていますが、こんなの被ってて首筋痛めないんだろうか? その他にも右上の写真の様なカラフルでカッコいい兜や甲冑、藤堂高虎直筆の文章など、数多くの展示物があります。戦国武将に興味のある私にとっては、何時まで見ていても飽きません。
三層目が天守閣の最上階で、ここから伊賀市が一望できます。天守閣の天井にも沢山の書物が飾ってありました。なんで上に飾ってたのか?そこは不明です。 天守閣からの市内の眺めは壮観ですね。他の城でもそうですが、この天守閣から市内を眺めていると、一国一城の主になったような気分が味わえます。良い気分です(^v^)
どこの城もそうですが、中の階段はむちゃくちゃ急です。角度にして70度位でしょうか。躓いて転んだら、確実に大怪我です。特に降りる時が恐くて、手すりから手が離せません。 以前姫路城に行った時は、夏で前を歩いていた女の子が、何を考えているのかミニスカートで来てたもんだから、もうその子の後に付いて城の階段を登っていた私は、目のやり場に困りました(^_^; 当然急な階段なので、登りとはいえ手すりから手が離せないから、スカートもまともに押さえられないし。お城見物に行かれる際は、必ずズボンで行きましょう!男性人にサービスしたいなら別ですが・・・・。
最後に、少し離れた所ですが『だんじり会館』です。だんじりって言うと、私なんか岸和田だんじり祭りが直ぐ浮かびますが、ここ伊賀市でもだんじり祭りは350年前から行われているそうです。 こちらのだんじり祭りは、岸和田の様な荒々しい祭りとは違い、厳かにゆっくり市内をだんじりを担いで練り歩く、安全な祭りです。だんじり自体は岸和田のだんじりに引けを取らない、豪華な飾りをしており、だんじりの上には 大人が10人以上乗って、笛や太鼓の演奏をするようです。
だんじりの意味は、今回初めて聞いたのですが、『しるし』と呼ばれる神が宿る祭壇の役目をするものが楼車の前を進んでいます。この祭壇「だん」の後ろ「尻」、要するに「壇の尻」を巡行することから、楼車の事をだんじり と呼ぶのだそうです。いままで何気なくだんじりって言ってましたが、そう言う意味が有ったんですね。

このだんじり会館には、毎年3基が展示されていて、9の町内のだんじりがあり、毎年違う3基が祭りが終わると、ここに入ってきて1年間展示されるんだそうです。従って、写真にあるだんじりも、今年の10月の祭りが終わると、別のだんじりに 入れ替わり、このだんじりは元の町内の保管場所に帰るようです。
伊賀上野で家族へのお土産も買って、亀山のアパートへ帰ってきました。ここで、少し時間があったので、前から気になっていたところに寄ろうと思いました。今住んでいるアパートから歩いて10分位のところですが、左の写真の様な標識があるんです。 車で通る時に見ては、「なんて書いてあるんだ?にほんぶそん・・??」駐車場に車を止めて、標識を良く見ると、漢字の下に英語で書いてあります。なんと「ヤマトタケルノ尊の墓」って書いてある。そんな凄いものがこんな近くに有ったの?って感じ。 でも、それにしては観光客は少ないな〜。今日もほとんど誰も来てないし。

まあ、とりあえず行って見ることにしたが、どこに墓があるのか判らない。少し中に入ると、左の様な石柱が立っている。「ヤマトタケルノ尊御墓参道 左」って、左に行っても何も無さそうなんだけど。半信半疑で行ってみると、やはり何も無い とりあえず行ける所まで行ったけど、行き止まりになるし。もう一度引き返しながら辺りを良く見ると、何も案内が書いてないけど、上がる階段がある。「ここかな?」と思いながら、上がってみると立ち入り禁止で囲まれた敷地の中に、写真右のような 石で出来た鳥居がある。どうやらあれが「ヤマトタケルノ尊」の墓のようだ。そういえば、普通のお墓を予想してたけど、天皇家は仏教ではなく神なんだよね。だからお墓も鳥居なのかな?それにしてもこんな歴史上有名な人の墓がこんなひっそりとしたところに 有るなんて。立ち入り禁止の札には、しっかり宮内庁の文字が。間違いなく天皇家にゆかりのあるお墓であることは間違いないようだが、こんな良い天気の日曜日に訪れる人も無く、なんか不思議な感じですね。

今回三重にきて初めての観光でした。伊賀の忍者屋敷も中学以来の訪問だけど、もう忘れてる所も多かったので、新鮮な感じがして良かったです。亀山は京都、奈良、琵琶湖、名古屋、大阪・・・色々見るところは多そうだ。 暇とお金さえあればこの旅日記もどんどん増えそう。頑張るぞ!とりあえず早いうちに伊勢神宮に御参り行って、早く広島に帰れるようにお願いしに行ってこなければ。(^v^)
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