日光東照宮
5月13日、栃木での生活も後1週間を切った。日光には何度か足を運んだが、東照宮はまだ観たことが無かったので、三重に転勤になる前に 是非とも観ておこうと行って来ました。
この日は矢板を出たときは雨は降ってなかったが、日光に近づくにつれて雨がだんだん激しくなってきます。気温もかなり下がってきて、5月も 中盤だというのに歩いてる人は皆厚着で、まるで冬の装いです。
まずは奥日光、中禅寺湖に行こうと、有名ないろは坂を上がる。この坂は沢山の急カーブ(ほとんどヘアピンカーブ)が続きます。名前の 通り、下から順番にカーブには『い』『ろ』『は』『に』『ほ』『へ』『と』・・・一つずつ名前が付いています。
また、この日は天気も悪いし 肌寒いので居ませんでしたが、坂の所々で野生の猿に遭遇することがあります。昨年夏にこのいろは坂を上った時には、普通に猿が道の脇に 座ってました。
いろは坂を上っていくにつれ、雨は更に強くなるし、寒くなってきます。少しの時間でしたが、みぞれも降りました。それだけ寒いんです。 中禅寺湖の周辺の道路に植えられている桜はまだ花が付いていました。宇都宮周辺に比べると1ヶ月は花の時期が違うんですね。
上の写真は中禅寺湖ですが、これでも解る様にキリが出ていて風景も何もありませんでした。戦場ヶ原男体山を観に行ったのですが、全然 見えません。「華厳の滝もこれでは行ってもまともに見えないな〜」と思い、行くのを止めていろは坂を下って日光へ移動しました。まあこれらは 昨年夏に来た時に見てますので、まあいいでしょう。
知ってる人もいるだろうけど、いろは坂は一方通行なんです。上りと下りのいろは坂は、別のルートなんですよね。下りの方がカーブはきつく、 観光バスなどはカーブの手前で一番外側にバスを付け、思いっきりハンドルを切り、内側の後輪がカーブの内側ぎりぎりを通るようにバスをコントロールしないと カーブを一回で回れません。まさしく、超が付くほどのアウト・イン・アウト走行です。従って、バスが前にいるとそれに付いて行くしかなく、のろのろ運転です。
日光では、東照宮二荒山神社大獣院等主な所を拝観できる拝観券が一つづりになった券を購入、まずは、宝物殿から見て回ることに思案した。 宝物殿には日光の歴史を物語る歴史的・美術的価値の高い資料が保存されていました。明王象や法具などがたくさんあるのですが、ここで気になったのは外国の観光客 に、英語で説明している年配の方がおられ、その英語が気になって仕方なかったです。なにせ、静かな館内ですから気にするなという方が無理です。この宝物殿の外には 日本庭園の逍遥園(しょうようえん)があります。つつじが咲いていて綺麗でしたし、池の周りの木々には苔が沢山生えていて、これがまた日本的と言うか、味のある感じを だしています。 次に三仏堂を拝観しました。左の写真が三仏堂正面です。 三仏堂の中には「千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音」という三体の大仏さまがあります。非常に大きな大仏さまで、高さは8.5メートル(だったかな?)あるそうです。 残念なら、内部は撮影禁止です。
三仏堂の裏には大護摩堂があり、中には七福神十二天など30躰の仏さまや祖師像が入って正面に横一杯に並べられています。ここを出たら続いては、今回の メイン目的の東照宮です。
東照宮へと向かう途中には、写真左の五重の塔があります。京都や宮島でも良く見る五重の塔みたいですが、装飾はこちらのほうがきらびやかですね。 ただ、この五重の塔は工夫がしてあるらしく、高さは約36メートル、内部は吹き抜けになっていて、中心を貫く直径60センチの心柱が4層から鎖でつり下げられ、その最下部は礎石の穴の中で10センチ ほど浮いているそうです。建物が揺れても重心は常に中心にあって倒壊を防ぐ耐震・耐風対策がしてあるらしく、さらには年を重ねると木材が縮んだり、建物自体の重みで屋根が沈み、建物に隙間が生じるが、 心柱を浮かせれば、屋根の下降とともに心柱も下がり、隙間が生じないという工夫がされているそうです。なんとこの時代にこのよう高層建築の工夫をするなんて、この説明を聞いても、私には今ひとつ理解できません(^_^;

そこから仁王像が安置されている表門をくぐると、正面に三神庫(さんじんこ)がありますが、そのうちの一つは工事していてシートがかぶっています。来年ぐらいまでかかるような事 書いてあったように思いますが、定かでは有りません。ここの辺りは結構広い場所になっていて、修学旅行生が沢山集まって集合写真を撮っていました。ふざけている生徒に先生が『卒業アルバムの 写真になるんだから、良い顔しろよ〜』って言ってます。まあ、中学生位だと思うのですが、これぐらいの歳の特に男の子は、言うこと聞きませんね。まあ、私も覚えが有るので 一生懸命の先生と生徒の会話をしばし楽しみました。
それから、写真でも良く見る陽明門をくぐります。この陽明門の装飾は凄いですね。そのほかの建造物の装飾も凄いですが、陽明門はさらに 凄いです。下の写真が少しアップにした写真ですが、なかなか写真では伝わらないと思うけど、かなりの物ですね。

ところで、ここでは気づず、帰り道で思い出したのだけど、「みざる、いわざる、きかざる」の三猿は何処にあったのか?特に案内も無かったように思います。あとで調べたら、表門をくぐるた所の 三神庫の道を挟んで反対側に有ったようです。三神庫陽明門ばかりに気を取られていて、まったく気が付きませんでした。もっと良く判るように案内板でも出しておいてくれれば良かったのに。 それとも出てたけど、気づかなかっただけかもしれませんが。
陽明門をくぐると中には神輿舎、神楽殿など、これまた金を使って飾られた豪華な建造物があります。どれもきらびやかだけど、もともと最初はここまできらびやかではなかったらしいですね。 徳川家康が自分の死後遺体は久能山(静岡)におさめ、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつり鎮守とするよう遺言し、1616年4月17日、駿府で死んだ翌年、日光に社殿 が造営され、朝廷から東照大権現の神号が贈られ、遺言どおり神としてまつられたそうです。この東照大権現の神号から、東照宮は来ているようですね。やがて家康を敬愛する3代将軍家光公によって、 いまのような絢爛豪華建物に変わったそうです。現存する建物のほとんどは、「寛永の大造替」で建て替えられたものだと言う事なので、ほとんどは3代将軍によって建てられたということでしょうか。

本殿を出て、右手には薬師堂があります。ここには鳴竜なるものがあります。天井に大きな竜の絵が書いてあるのですが、この竜の絵の下で柏木を打つと、不思議なことに竜の頭の絵の真下で たたいた時だけ、物凄く響くんです。まるで鈴が鳴っているような響きです。頭の下以外でたたいた場合は、まったく響かず普通に柏木の音しかしません。これは不思議です。どういう仕組みになって いるのか、しばらく天井や周りや、床を見ていたのですが、まったく判りませんでした。
その他にも沢山の絵や飾りが多くありましたが、残念ながら全て撮影禁止です。おかげで、この絢爛豪華さを伝えようにも伝わりませんね。是非実際に行って見ると良いと思います。絢爛豪華とは、こういう 物を言うのかって言うのが判ると思います。
次は二荒山神社です。日光は何処もそうですが、杉の巨木が沢山あります。ここの境内にも杉の巨木があり、中には、上の写真のように根を一つにしている親子杉夫婦杉等があります。 とにかくこの辺りの杉の木は物凄く大きく、年輪を感じさせる巨木です。でも、花粉症の方にはかなりきついんじゃないかな?私は今のところ平気だけど、これだけ杉の木があると大変でしょうね。
最後に拝観したのは日光廊大獣院(家光廊大獣院)です。ここは、その名の通り徳川3代将軍家光公の墓所です。大猷院とは、家光公が死後、後光明天皇からたまわった法号だそうです。
家光公は、祖父である家康公を心から深く尊敬し、慶安4(1651)年4月20日、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現にお仕えする」という遺言を残し、その遺志を受けた4代将軍家綱公の命によって、 家光公の死の翌年にあたる承応元(1652)年2月16日に起工。わずか1年2か月後の承応2(1652)年4月4日に家光廟大猷院が完成。この大猷院の建物は東照宮に向いているらしく、これは家康公に対する 家光公の強い思慕の念を示しているということだそうです。
要するに偉大なるおじいちゃんが大好きで、尊敬していたと言うことなんですね。ここまで孫に慕われたらおじいちゃんも嬉しいでしょうね。 上の写真左は大獣院の入り口に当たる仁王門。右が仁王門を抜けたところにある、樹齢300年の徳川家綱公お手植えの槇(まき)ですね。
上の写真の左が大獣院本殿に続く石段の入り口になる二天門です。表側に四天王のうちの持国天と、あまのじゃくを踏みつけた広目天の二天を祭っていることからこの名があるそうです。 裏側には赤い雷神、青い風神があります。よく観なかったのですが、雷神の手の指が3本らしく、これは過去・現在・未来を表し、風神の手の指は4本で、東西南北を表現しているんだそうです。 また、風神・雷神ともに足の指が2本で、これは天と地を示しているとか。後になって資料を見て知ったので、最初に資料を見ておくべきでした。ここに限らず歴史的建造物等を観る時は、事前に資料には目を通して置きべきですね。
そして右の写真が拝殿です。ここももちろん内部の写真は撮影禁止です。この拝殿の奥に大獣院(家光公)の本尊が安置される本殿があります。本殿には入ることは出来ませんが、手前の拝殿のなかから、本殿の内部を見ることが出来ます。 また、ここの塀には沢山の鳩の彫刻がありました。なかなか手の込んだ作りです。

とにかく、絢爛豪華な歴史的建物は、京都や奈良でも見たこと有りますが、ここまで豪華な建造物は他に無いんじゃないでしょうか?少なくとも私は見たことが有りません。ここの建造物や仏像等はほとんどが国の重要文化財であり 当然のごとく世界遺産に登録されています。この豪華な建物を見ただけでも徳川の力がどれほどのものであったか、感じることが出来ます。
『絢爛豪華とはどんなもの?』って思われる方、是非日光に行ってみてください。たかだか1300円で絢爛豪華というものがどういうものか、感じることが出来ますよ。

ちなみに、日光の歴史や建造物について知りたい方は、 日光パーフェクトガイドを参照ください。私の説明なんかよりもっと詳しく書いてありますよ。
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