呉市、大和ミュージアム&音戸大橋
5月2日、この日は広島県は呉市に最近オープンした『大和ミュージアム』に行ってきました。前の日は一日中大雨だったのですが、 この日は天気も回復し、良い天気になりました。私の住んでいる東広島から車で約1時間ちょっとで呉市につきます。

呉市と言うと、明治36年に呉海軍工廠(当時東洋一の造船所)が開設され、明治から第2次大戦までの日本海軍の主力艦船の大半は ここ呉で造船されました。最も有名なのは昭和15年完成した世界最大の戦艦「大和」ですね。戦後もここは巨大タンカーや客船の 造船や修理点検が出来る巨大なドッグを持っていることから、数多くの船が造船されています。

また、ここ呉市から音戸大橋へ至る海岸線には海上自衛隊の基地があり、自衛隊の船や潜水艦が浮かんでいます。また、対岸の江田島 には、旧海軍兵学校があり、現在は海上自衛隊第一術科学校となっています。敗戦までの呉市及び広島市は、帝国海軍の重要な拠点で した。お隣広島市には大本営があり、まさしく大日本帝国の軍需の中心でした。これが広島に原爆を投下された、一つの大きな理由のようです。

今も呉市には、海上自衛隊や米軍の弾薬庫があったりと、見た目は平和な街になっていますが、所々に軍事色を残しています。
あと、呉市出身の有名人では、最近では「島谷ひとみ」が有名です。ちょっと昔なら「城みちる」(いるかに乗った少年)ですね。 30代後半から上の方ならご存知ですよね。
そんな呉市の中心に、4月23日オープンした『大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)』に行ってきました。まだ出来たばかりと 言う事もあり、非常に綺麗な建物です。位置もJR呉駅に直ぐ裏ですし、便利の良い場所です。外には『戦艦陸奥』のスクリューや 主錨などが展示してあります。そりゃもうでかいスクリュースです。
中に入るには大人が500円必要ですので、早速500円払って中に入りました。
中に入ると、建物の真ん中が天井まで吹き抜けになっていて、そこに全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」が展示してあります。 設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに,可能な限り詳細に再現しているらしく、細部まで精巧に再現されています。 子供の頃大和のプラモデルを何度も作った記憶のある私としては、何時まで見てても飽きません。中に人が10人ぐらいなら十分入れそうな 感じですね。周りの人と比べるとその大きさが判ると思います。下手な北朝鮮の工作船よりは頑丈な感じです。
大和の周りを回って2階に上がると、そこには『零戦』の1/1サイズ模型があります。『零戦』も当時は世界一優秀な戦闘機でしたね。 日本の技術力は、この当時から世界でもトップクラスの技術を持っていたわけです。

3階には、呉の造船の歴史に関する色々な資料や、戦時中の遺品、戦艦大和の乗組員の遺品など、数多くの資料や遺品を展示し、ビデオ等を使って 当時の様子などを紹介しています。写真左は、沈没した大和に何度か調査船が行っており、その際に引き上げられた大和の実際の遺品です。しばらく 海中に沈んでいたので、かなり痛んでました。写真右が大和の設計図の一部だそうです。見てもなんだか良く判りませんでした。 色々有る中で、私が一番足を止め見入ってしまったのは、大和乗組員の家族へ宛てた手紙の数々です。
昭和20年、沖縄に上陸した米軍を一掃すると言う目的で、広島湾に停泊中の大和に出撃命令が出ました。ただ、当時の誰もが、もはや戦局はどうにも ならない状態であることは明らかで、大和の出撃は自殺行為であることは明白でした。しかも資源が底をついていた日本には、大和にのせる燃料は 片道分だったそうです。つまり、二度とかえるつもりの無い出撃ですよね。その出撃前に大和乗組員は、日本に残す家族や友人に遺書を残しています。 その直筆の現物が展示されています。中でも涙が出そうになったのは、生まれて間もない子供に、立派な大人になるように、日本の為になるような 人間になるように書き残している手紙です。見ていて泣けてきました。
今、この手紙を書いた方の立場に自分がいたらどうだろう?こんな手紙を書き、家族を心配しながらも日本の為に出撃するなんて、考えられないですね。 おそらく、いや確実にその場から逃げ出しているでしょうね。家族のためならまだしも、政局を謝った日本の為に死ぬなんて・・・今の平和な世の中の 人間には考えられないでしょうね。
結果、大和は沖縄に着く前に、鹿児島の沖に米軍の攻撃により撃沈されました。このとき乗組員約3000人も大和と共に運命を共にされています。
この方たちの犠牲があって、今の平和な私たちがいるんだと言うことを再認識しました。
さらにこの階には、船や造船に関する科学の展示があります。パネルや簡単な実験装置により、体験できるもの等が沢山あります。どちらかというと、 小学生が見て理解できるような内容ですので、あまり専門的なことは書かれていませんが、船や造船に興味のある方には楽しめる内容ではないでしょうか。
さらには、『未来へ』というタイトルで未来の船の展示も有ります。ここには『やまと』繋がりでしょうか、『宇宙戦艦ヤマト』の模型や、ヤマトに出てくる アナライザーの1/1サイズロボット(ほとんど動かず、喋ってるだけですが)があります。その他にも、松本零士さん未来を題材にした作品の数々も展示紹介されていて 松本零士作品の好きな方にはたまらない内容ですね。私がそうですが・・・・。
あと、帰りに1階にあるおみやげ物コーナーもちょっと覗いてみました。やはり大和関連グッズや、海上自衛隊関連グッズなどが売られています。中には『大和ワイン』 『大和酒』『大和ようかん』等々、大和○○ってのが色々あります。何が違うのかは不明ですが、せっかくなので『大和ようかん』を買って帰りました。味は・・・ 別に大和は関係ないですね。普通のようかんです。
『大和ミュージアム』を出て時間もあるので、この時期つつじが満開で綺麗な『音戸大橋』へ寄って帰る事にしました。音戸大橋は、呉市から海上自衛隊基地横を通って 20分ぐらいかな?沖の倉橋島へ架かる唯一の橋です。ここの海峡は昔、平清盛が1夜にして繋がっていた島と本土の間に海峡を作ったとか言う逸話が残っていて、清盛関係の 史跡が数点あります。この日はつつじが満開を少し過ぎた位の感じですが、非常に綺麗で多くの観光客が来ていました。
後、音戸大橋といえば、島側に橋から下まで降りるのに、車道がらせん状になっていることが有名です。右の写真ですが、判りにくいかな?2週と半、ぐるぐると回ってましす。 私もここは何度か車で通ったことありますが、ハンドルを一定に切ったら、そのままほとんど動かさず2週半します。従って、らせんの最後では油断すると切りすぎて 対向車線に出そうになったり、路側の壁にぶつかりそうになります。私も何度か途中ボーとして、最後でビックリする経験をしてます。

今日は、大和ミュージアムで広島や呉市の歴史や、造船の歴史を見て、昔から日本は、非常に技術力の高い国であり、 その中心に何時も呉市があったこと、そして大和の悲しい運命の歴史を見て、今の平和のありがたさを実感したことなど、有意義な一日でした。
広島にお越しの際は、ぜひ呉市にも足を運んで、日本の造船技術の高さと、戦争の無情さを実感して頂きたいと思います。
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