鎌倉、江ノ島
3月26日鎌倉、江ノ島へ行ってきました。この時期JRの青春18切符を使うことにより、通常私の今住んでるところから鎌倉まで往復すると約6000円はかかるのですが、この切符により2300円で往復できます。しかも 乗り降り自由ですから、便利な切符です。
朝7時過ぎの電車に乗り、鎌倉到着は11時前。約3時間30分電車に乗っていたので、背中も腰も痛くて仕方ありませんでした。鎌倉駅に到着したら最初に駅から歩いて約10分の所にある、鶴岡八幡宮に行きました。 最近の陽気のせいもあってか、一部サクラが咲いていました。この日も晴天で結構暖かかったです。

鶴岡八幡宮では、あちらこちらに結婚式を挙げているカップルが見られました。八幡宮本殿へは階段を上り入っていくのですが、内部は撮影禁止のため、写真は取れませんでしたが、きれいな彫刻や装飾があり、 しばし見とれてました。せっかく来たのだから、お参りしようと小銭を出し、賽銭箱へ。早く単身赴任解消して、家族の居る広島に返してくださいとお祈りしました。願いを叶えてくれるかな?10円しか入れなかった から、だめかな?もっと奮発しとけばよかった。

鶴岡八幡宮に上がる階段の脇には、樹齢1000年と言う木が生えてます。何か枯れてるように見えたけど、まだ生きてるのかな?枝は広がるからだろうか、あちらこちらカットされています。
一通り見学した時点で11時30分だったので、昼食を取る事にしました。何せ朝飯は7時前に食べたのだから、お腹がすいて仕方が無い。鶴岡八幡宮より鎌倉駅方面にちょっと戻った所にある”キャラウェイ”っていうカレー 屋に行きました。なんでもここはTVでも紹介された、結構有名なお店らしいのです。ビーフカレー730円を注文しましたが、驚いたのはその量の多さです。お店の人が言うのはお茶碗3倍分のご飯の量だそうです。 カレー自体はそんなに美味しいとは思わなかったな〜。でも、全部たいらげました。結構お腹パンパンです。ここで、お腹パンパンになったことが、後で中華街に行ったときに効いてくるとは、この時は思いもよらなかったけど・・・。
食事を終えて外に出た頃には、お店の前は行列が出来てました。やっぱりTVの力は大きいですね。

ここで、鶴岡八幡宮の由来について、資料から抜粋すると
鶴岡八幡宮は、京都の岩清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が、前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063年)8月、京の岩清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。その後、治承4年(1180年)に源頼朝が 鎌倉入りするや、由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を、この地小林郷に移した。建久2年(1191年)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えられた。源頼朝が、この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し、 全国60余州を平定した時であった。翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており、頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。以来、鶴岡八幡宮は常に 鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていた。

鶴岡八幡宮の仁大門を入ると舞殿の広場がある。舞殿は、本宮への石段の前に建つ、入母屋造りの建物。ここは、かって舞いの名手で、源義経の愛人であった、静御前の悲しい逸話が残っています。吉野山で捕らえられた静御前は、源頼朝 に舞を命ぜられ「吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人のあとぞ悲しき」と義経を慕う歌を詠み舞った。これが頼朝の怒りをかい、義経の子と、自らの命を失うこととなった。
続いて、鎌倉といえば大仏です。鎌倉駅からは、かの有名な江ノ島電鉄(江ノ電)で行きました。一応江ノ島にも行く予定だったので、1日乗車券”のりおりくん”を購入、鎌倉駅から3駅先の長谷駅で降りて そこから歩いて約10分で鎌倉の大仏へ。やはり真近でみる大仏は大きいですね。TVでも言ってたけど酸性雨の影響からか、表面が結構汚くなってました。ここで鎌倉の大仏の歴史について、資料から抜粋すると

鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、 暦仁元年(1238年)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。北条泰時もその建立に援助をした。そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243年)6月11に行われた。泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造であった。 そして4年後の宝治元年(1247年)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252年)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。大仏殿は建武二年(1335年)と志安二年(1369年)の台風で倒壊。更に明応四年(1495年)の大津波で 押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンである。

ようするに、大仏さんは家を自然災害で無くしてしまった訳ですね。何かかわいそうです。

こちらは大仏の裏側です。大仏の裏側ってTVや雑誌でも見たこと無かったので、初めて見ましたが・・・背中に窓があるなんて、驚きです。この大仏は中に入れるので、明かりを中に取り入れるため窓が付いてる んだと思いますが、おそらくこれは後から観光用に付けた物なのかな?ちょっとその辺が判らなかったですが。大仏の中には、大仏の左足太ももしたあたりから、中に入れます。20円要りますけど。




早速20円出して入ることにしました。入り口はとにかく狭い。出入り口が一つなので、出る人と入る人が、狭い通路ですれ違わなければいけないし、なにより暗いです。足元がよく見えません。中に入ると、先ほどの 背中に有る窓から光が入るので、薄暗いですが回りはよく見えます。この写真は大仏の中から上を撮っているので、真ん中の穴のようなところが、大仏の頭になります。

再び長谷駅に戻り、江ノ電に乗って江ノ島に行きました。途中の海岸では、まだまだ寒いのにサーフィンを楽しむ人が沢山いました。人と言うより、何か見た感じではアザラシがいっぱい浮いてるって感じですかね。 たまちゃんが沢山!!って感じです。江ノ島へ渡る橋の脇では、今度はウインドサーフィンやヨットが沢山。好きな人は寒さなんか関係ないんでしょうね。




江ノ島って何があるんだろう?って思ってましたが、やはり特別何もなかったように思います。これは江ノ島に渡って突き当たりに有る神社で、これぐらいだったかな。でも観光客は多いし、観光客目当てのお店も 多いです。江ノ島の上のほうに上がるには、徒歩で上がるか、有料のエスカレーターに乗るんですが、エスカレーターなのに300円要るんですね。ただのエスカレーターですよ・・・まあいいけど。上に上がっても 見えるのは太平洋の水平線だけ。やはり、江ノ島はマリンスポーツをするところですね。後はサザンオールスターズの歌で有名になって観光客がやってくるのかな?

夕飯は横浜中華街に行き、食べ放題のお店でビールと飲茶、点心で腹ごしらえ。のはずだったんですが、最初に書いてますように、鎌倉で茶碗3杯分のご飯のカレーを食べたものだから、まだ、お腹の中にカレーが 微妙に残ってるんです。おかげで食べ放題なのに、あまり食べれませんでした。くやしい〜!
その後は、再び電車での長旅です。帰りも約3時間半、疲れました。でも初めての鎌倉だったので、結構楽しかったです。

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